何を隠そう私は学生時代、ガチガチに力を入れてピアノを弾いていました。
今考えるとピアノだけじゃないですね。字を書くときスポーツをするとき。勉強でさえ、頑張るぞと気合を入れたとき。あらゆる場面で体に力を込めていたような気がします。
時代がそうだったかもしれません。小学校の時、ちょうど「北斗の拳」が連載され夢中になって読んでいました。
必殺技の前に必ずって言ってよいほど筋肉を硬直化させ技を繰り出す姿に「おおっ」と思ったものです。
プロレスなんかも全盛期だったのでプロレスラーはデモンストレーションに筋肉をムキムキさせて見る人を魅了していました。
ピアノでは重力奏法が華を咲かせていた時代です。私も腕を上げて重力に任せて腕を落とす練習をさせられました。
脱力に関してはそれほどうるさく言われなかったと思います。
そんな時代、普通高校を出た私は、初めての音楽大学でのピアノの試験で緊張して大失敗をしてしまいます。
大学ではめちゃくちゃ音楽を勉強するぞと誓っていたので毎日10時間以上の練習は欠かさなかったのですがそれでも試験に受かることが出来ず演奏会に出演をすることが出来ませんでした。
あれだけ練習したのにといつも悔しい思いをしていたのです。
そんなことが続き本番で結果を残せなければいくら練習しても意味がない。ではどうすればもっと良いパフォーマンスが出来るようになるだろうと思案を重ねた結果、"緊張と弛緩"という考えにたどり着きました。
あれから30年以上経ち、今では様々な考え方、方法を身に着けることが出来ました。今でも音楽以外の分野のひとたちがいかに緊張と弛緩を行っているか研究しています。
これから緊張と弛緩についてシリーズで記事を書いていきたいと思います。
第一のテーマは、そもそもなぜ人は緊張するのか?緊張しなかったらもっと上手く弾けるのに、です。
ここでピアノから離れてみたいと思います。
遠い遠い昔、もしかしたらまだ人間が人間じゃない頃かも知れません。
動物間の生存競争が激しくいつ襲われて食べられてしまうか分からない時代が続きました。
このような状況で危険を回避するため「急性ストレス反応」という能力が芽生えたようです。呼吸や鼓動が激しくなる、周囲の音が聞こえなくなる、瞳孔を拡大させることで必要なエネルギーを全て筋肉に送るという働きを行うものです。
所謂、闘争・逃走本能というものです。危険に直面したときに闘うか逃げるかを選択させる重要な反応です。
死んだふりというものもあります。
現代の日本では戦争ということは非日常に感じられます。
しかし昭和初期までは日本でも戦争はあったわけですしもっと古い時代には盗賊・山賊に襲われる、侍の決闘など緊張と弛緩が続く時代がありました。
いつ何時、襲われて死ぬかもしれないので緊張して、用心して自分を守る必要があったのです。
こういうことから言えるのは「緊張」とは嫌な無駄な反応ではなく、いざという時に対処できるようにする必要不可欠な反応だということです。
緊張などと同一グループに入る言葉で「心配」「怖い」「痛い」「苦しい」・・・などもあります。
これらも使いようによってはむしろ生きるのに必要不可欠な反応であるといえます。
心配だからダブルチェックを行いミスを減らす、怖いから近づかない、痛いから怪我をしたのが分かり治療する、などです。
初心者がピアノや楽器を弾くときとても力が入って緊張します。先生の前だと特に。発表会ではこちんこちんになります。
現在では猫も杓子も脱力、脱力です。音楽に限らずスポーツ、ダンス、演技、武道、あらゆる体を動かす分野で脱力の大切が説かれています。
しかし進化や本能レベルの段階で考えたとき、もしかしたら力が入る(緊張する)ということは、特に初心者にとっては必要なことかもしれないと思うわけです。
こんな風に思う根拠と詳細、ではどうすればよいのか?を今後の項目で綴っていきます。
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