「君の親指がどこにあるか知っているかい?どうしてそこにあると分かるんだ」脳神経科学者だったらこう言うかもしれません。(昔読んだ脳科学の書籍から脚色して書きました。)
親指なんかどこにあるか知っている。ほらここにあると、誰でもゆび指して言うと思います。
でもこういう本当の話もあります。
例えば戦争や事故で足や腕をなくしてしまった人がないのにまだそこにあると感じる。なくしてしまった部位がかゆくなる、痛くなる。頬を掻いたり擦ったりすると治る。
この反対もあります。足があるのに自分には足はないんだ、とかたくなに思い込みついに自ら足を切断してしまった人。無くなってほっとしたと書かれておりました。
本当の手を隠してその代わりゴムの手を置いてあげる。その手をしばらく擦っていると本当に擦られている感じがしてくる。その手を不意にハンマーでたたかれると痛いっと声を上げてしまう。この時、本当の自分の手は血流が遅くなり温度が下がるそうです。
2点の感覚を体で感じる「2点弁別閾測定」。指先で用意に2点に感じられる感覚も足の太ももや背中では非常に難しいでしょう。(1点にしか感じられない)
また私たちは、自分の重さを感じることが出来ません。腕も足、頭も。心臓や肺、胃、腸が動くことを感じることもありません。(お腹がすいて胃がなることはありますが)
気温が30°を超えると暑くてたまらないのに風呂の30°は冷たく感じます。風呂の50°は熱すぎますが飲めばぬるく感じます。
人間の身体って不思議がいっぱいです。我々は自分の体のことを本当はよくわかっていないのです。
このような現象は、脳が結構いい加減なために起こります。脳はよくうそをつくとも言います。
上記に上げた難しいことでなくとも例えば、片目を綺麗につぶることができますか?
苦手は人はおでこにしわを寄せたり、顔を傾けたりしてしまうのではないでしょうか?
足の指を一本ずつ動かすことが出来ますか?ほかの指がつられて動いたり太ももがつったりしませんか?
現代では耳を動かせる人は少ないと思います。でも若干、出来る人もいるようです。鼻とかも。耳や鼻を動かせるよう練習したとしたらきっとその周辺にうっと力を込めるのではないでしょうか?
「アバター(仮想の身体)」の研究が進んでいます。
映画を観た人も多いでしょう。2も作成されたようです。
自分の体ではない身体に神経接続して動かそうというものです。漫画のエヴァンゲリオンなんかもそうですね。
さぁ、ここで質問です。カニやタコのアバターを操縦しようとしたらどうなるでしょう?最初はまったく動かすことが出来ないが色々、力を入れて試しているうちに動かし方が分かってくる、とその本には書かれていました。
仮想の技術を使ったものでは、電車のシュミレーション装置、3D仮想空間ゲーム、無人戦闘機、ロボットなどもあります。惜しくも連載終了してしまったジャンプの「トリコ」にもこのような神経接続するロボットが登場していました。今やこういうテクノロジーは、夢物語ではなくなってきています。
ここまで引っ張て来て本題に入ります。
ピアノの場合はどういうことが考えられるのだろう?
手や指は、身体の中でも神経が発達している場所で普通の人は手を器用に動かすことが出来ます。
でもピアノを弾くには全く足りません。初心者ではピアノの前に座ったとたん指をどう動かしてよいか分からなくなるはずです。左手なんてとんでもない。なんとかかんとか曲を練習してもガチガチでとても優雅とは言えない弾き方になります。
脱力奏法だとこんな時、力を抜く、抜ければ上手く弾けるようになる、といいます。
「緊張と弛緩 その1」で緊張するのは本能、決して悪いことではない、と説明しました。
この考え方でいくと
・ピアノ初心者は、ピアノの前に座ると指の動かし方が分からなくなる。
・緊張する本能が目覚める。
・カニやタコのアバターの足を動かそうとなんとかかんとか体中のあちこちに力を入れて試行錯誤するように体中に力を入れて弾こうとする。
ということだと思います。
力が入っているから弾けないのではなく力の入れ方(肝心な指先、指の関節など)が分からないので他の部位の力を借りて危機(弾けないという危機)を凌ごうとする、ということだと思います。
この力を入れるという作業を行うと身体に変化が生じます。骨に微量な電気が発生したり筋肉が破壊され修復しようという細胞の動き、神経の電気信号、化学物質を発生させ情報を身体で共有する働きなど、です。
この作業を繰り返すうちに徐々に本当に力を入れたい部分が活性化し無駄な部位は使わなくなる、ということが上達するということです。
無駄な部位は使わないということが脱力できているということですが、ピアノで本当にこれが出来ているレベルというのは世界最難関レベルの曲を楽に弾けるレベルなので本当にハードルが高いです。
「こいつ指は動かないけど伴奏は上手いよ。」と声楽の人に言われたぐらいガチガチで指が動かなかった私ですが、今ではショパン、ラフマ、プロコ、メトネル(メトネルのコンチェルトは、聴いたことはありません。一説ではラフマノフより難しいそうです。)のコンチェルトだろうが弾けるレベルに達しています。
ここまで来るのに本当に苦労して練習を続け、体や心をどう使ったら上手くなれるのか様々な分野を研究してきました。
バイオリン始めたときは、内心結構、自身があったのですがやってみるとピアノをやってて役に立ったのは譜読みが速いことぐらいでした。
もうこれ以上ないぐらいガチガチになりました。脱力なんでとても無理。もう左手の小指がそっくり返って親指にもうんと力が入ってぶら下がるし顎も痛くなりました。右手のボーイングは、それはもう先生に肘鉄をくらわすぐらい左右に揺れて揺れて大変でした。
フルートを始めた時ももう力の入れ方が分からなくてフルートを持って構えることでさえ結構大変でした。
ところ変われば品も変わる。体のことなんて全然わかってないのです。
このような自分の長年の経験からも「脱力すれば弾ける」には警鐘を鳴らさるざるを得ません。
次の項からは、説明がよくうやむやになる「どこにどう力をいれるか抜くか」について100%明解に説明したいと思います。
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